岩手県の陸前高田に行ってきました

東日本大震災で壊滅的打撃を受けた、岩手県陸前高田へ、1週間ほど応援に行ってきました。

未だに1000人近い行方不明者がおり、市の中心部は壊滅。電気は復旧しましたが、断水が続いております。とにかく町の中心部が完全に荒野となってしまっており、残っている建物は一桁程度しかありません。左の写真はこちらのサイトで見られるかつての陸前高田市の様子です。区画整理が終わり、整然と建物が並んでいます。

しかし津波の被害で、以下のような姿に変貌してしまいました。添付する写真がブレているのは、写真を撮るために停車するわけにいかず、走行する車両から撮ったためです。(写真は、許可を受けて撮影しています)
鉄筋コンクリートの建物だと破壊されずに済んだ地域もあったようですが、この陸前高田の場合、鉄筋コンクリートの建物もほとんど津波で破壊されてしまいました。紙のように折れ曲がったH鋼の山が道路にいくつも山を作っています。案内してくれたボランティアグループのリーダーもこの瓦礫の中に自宅があり、押しつぶされてしまったそうです。普段明るいリーダーも、会話中に突然涙が溢れて止まらなくなるなど、見えない心の傷を負っているようでした。

ニュースで流れた陸前高田市消防団の消防車が、必死に逃げていた道の姿です。不思議なことに、町にいくつかある御神体として奉られてきた木が、津波で倒れもせず花を咲かせていました。他の強固な建物が一溜まりもなかったのに、さすがに御神体となる木は違いますね。

瓦礫の山となっている田園地帯。かつての駅舎も、地盤沈下で海の中になってしまいました。ここに以前と同じく町を建て直すのは難しいでしょう。しかし陸前高田市は平野部を少し上ると、すぐに山になり平地がほとんどありません。今回の津波では、平地部は全て飲み込まれており、復興計画は一筋縄ではいかないでしょう。

もっとも被害の多かった市民体育館の姿。避難してきた市民が飲み込まれ、行方不明者の大半がいたと考えられています。実は3月11日の2日前、9日に震度5の大きな地震がありました。結果論になりますが、この地震が前震だったことになります。地元のボランティアと話してわかったのですが、この地震津波が来なかったそうです。そのため3月11日の地震でも、津波が来ないんじゃないかという先入観から避難が遅れ、犠牲が大きくなってしまいました。彼は「1メートルでも津波が来てればなぁ」と何度も語っていました。

陸前高田で非常に目立つ看板のマイヤ高田店。津波が突き抜けてしまいました。中も大変なことになっており、他の建物と同様見た目普通でも、復活させるのはまず不可能でしょう。

さて陸前高田でもっとも必要なのは、水です。自衛隊給水車が来ますが、それは生活用水。飲み水はもっぱらペットボトルです。2リットルは食べ物用。500ミリリットルは、飲料用です。地震から2ヶ月が経ち、援助物資が激減する中、日々消費する水は、いくつあっても足りません。
また陸前高田には浄水場というものがありません。水道はなんと地下水を汲み上げて使っています。この地下水が井戸などから混入した海水によって汚染され、塩分濃度がとても飲める状態にないのです。東京に住む私の感覚では、地震で破壊された水道管の修理が、水道復旧を意味しますが陸前高田はそうではないのですね。
現在、陸前高田の水事情が回復するには、最低でも7月になると考えられており、それまではペットボトルで渇きを癒さないといけないことになります。是非少しでもいいので、水の援助を7月まで継続的に行って欲しいと思います。



私の仕事は届いた援助物資を、自衛隊に搬出する仕事でした。陸前高田で活動する自衛隊は、5月9日から縮小される見通しになっています。今後どのように体制が組まれるのか、ちょっと心配でした。
写真は自衛隊の軽装甲車。妙にスタイリッシュです。しかしなんと側面が斜めに切っているため、運転者はまっすぐ座れません。銃弾を弾く設計になっているからかもしれませんが、もう少し居住性を考えてもいい気がします。